
胡蝶蘭の話
私の家が中小企業を営んでおり、小さいころからお店の荷だしやバックヤードのお手伝いをしていました。
小さい頃の記憶は、毎日働き続ける「家族の背中」でした。
そんな私の幼少期の中で、お花屋さんの思い出があります。
みなさん「胡蝶蘭」をご存じだと思います。
開店祝いや、お祝い事の時に大きく真っ白なお花をつけた立派な胡蝶蘭が送られます。
立派であればあるほど、高価な胡蝶蘭ですが、立派に育てるのはとても難しく、大変な作業でした。
毎日、日の当たる屋上へ出して、また屋内へ下げてと繰り返し、丁寧に育てていきます。
とても繊細で、少しでも体が触れてしまえば、傷んでしまったり、折れてしまったりして、とても手のかかるお花でした。
胡蝶蘭を屋上に並べながら、小学生の私はふと思いました。
「これを3万円で買ってくれる人がいたとしても、この手間を考えたら……正直、割に合わんのじゃないか」
当時は小学生ですので、こどもの感覚です。
そんな小さな子供でさえも感じる「稼ぐこと」の大変さを、体に刻んでいく幼少期を過ごし、
大人になった今も「1円を稼ぐこと」の重みと尊さを守ることを常に考えております。

神社のご奉仕の話
広島市内に「護国神社」という神社があります。
年末年始になると、広島全エリアからたくさんの人がお参りにいらっしゃっいます。
「広島で1年間一生懸命働いた人たちがいらっしゃるから、ご奉仕しなさい」と祖父につれられ、小学生1年生から20年間、ずっと奉仕をさせていただいておりました。
12月31日から1月1日の年越しの期間、お神酒を配ったり、破魔矢を売ったり、お賽銭箱の裏で札かんをしたり、いろんなことをお手伝いしました。
しかし、小さい頃の私は、正直「紅白歌合戦が見れない」ことが、とても嫌でした。
録画もなかった時代ですので、見ることができず、友達のみんなは紅白歌合戦を見れているのに、「なんでなんだろう」と思うこともありました。
今になって思えば「地域の方々が、お店で買い物をしてくださり、その皆さんが1年間無事に過ごし年を越せたことを喜んでいる姿を見て、体験して、感謝をしなさい」ということを叩き込まれてきただなと、感じます。
今となってはそう感じています。
「地域への思い」「地域のために根差してやっていく」ということを大事にしていた家で育てられ、「広島県のために」と自然に考える私が出来上がりました。
「生まれ育った広島のためになる仕事がしたい」と思いながら大人になり、ステージをいくつか変えて、今ここに立っております。
1週間前に岸田元総理からお声がけいただき、とても悩んだ夜を超えて、ここにすべての覚悟を決めて、広島五区の地に立ちました。
故郷・広島に恩返しをするチャンスをください!
『若さで、全力!山本しん!』のキャッチコピーとともに、全力で戦ってまいります。
広島から日本を変える!
この広島五区から日本を変えていきます!
山本しん


